みなさんこんにちは。中川駅前校の打田です。

第4回は、日本史上の人物ランキングの上位を常にキープしている。織田信長です。

 織田信長は1534年、尾張で生まれ(今の愛知県西半分)、那古野(なごや)城(今の名古屋市)で育ちました。

 1546年、元服して幼名の吉法師から織田三郎信長と名乗り、父信秀の死によって18歳で織田家をつぎました。しかしこの頃の信長は、好んで風変わりな格好をして、乱暴な性格であったため、「大うつけ者」(大ばか者)と周りから非難されます(周りの目を欺くためにやったとも言われていますが)。そのため織田家の家臣や一族の中に信長から離れていく人も多く出ました。それを見たお守役の平手政秀は、ひどく情けなく思い自身の死をもって信長を諫めました。このことは、信長もかなりショックだったようで、彼は深く反省したと言われています。この出来事から、信長は尾張国内の反対勢力を一掃するため行動をおこし、天下統一へ乗り出していきます。

それでは、彼が成し遂げた業績を見ていきましょう。

桶狭間の戦い今川義元を破って(1560年)、足利義昭をともなって京都に上り、義昭を将軍職につける。

その後1573年、信長と対立した足利義昭を京都から追放し、室町幕府をほろぼす。

長篠の戦い(1575年)で武田氏(武田勝頼)を破る(※鉄砲を組織的に使った戦いと評価されている)

また、反対勢力となった自治都市の堺、比叡山延暦寺、一向一揆(石山本願寺)らを武力で抑えた。

仏教徒の勢力を抑えるためにキリスト教を保護した。

1576年、滋賀県に安土城を築き天下統一の拠点にした。また城下に楽市・楽座令を出し、各地の関所も廃止して自由な経済活動をうながした

わずか一代で尾張の一大名から、天下統一へあと一歩のところまで来ましたが、みなさんご存知のように、1582年、本能寺の変で家臣の明智光秀が反乱し、信長は自害してしまいます。

最後に織田信長の言葉を紹介します。

理想を持ち、信念に生きよ。理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。そのような者は廃人と同じだ。

信長も前回の始皇帝と同じように、短期間で改革を断行していった人物です。そのため敵対する勢力や人物が多くいたのも事実です。しかし、それでもなお自分を貫き通して事業を続けた背景には、上の言葉のような思いがあったからではないでしょうか。実際に彼は徳川家康が成し遂げる天下統一への礎を作りました。自分の理想や信念は何者にもまさる武器だと言えます。

受験生のみなさんは本番まで半年を切り(AO・推薦の方たちはもうすぐですね)、いよいよ勝負本番が見えてきました。まずは、勝負に勝つために自分の「理想・信念」について考えてみませんか。きっと勉強の効率があがるはずですよ。

世界の偉人と名言~第4回~